旅人のうた

【図書室】苫米地英人 「あたまのゴミ」を捨てれば、一瞬で脳が目覚める!

はじめのはじめ

わたしの「図書室」では、読んだ図書を要約する。
ここは読書感想文ではなくて、著者の意図を理解してまとめることが目的なので、原則、論評はしない。あくまで要約だけれども、ブログに取り上げるという時点である程度の評価はしていることになる。
それで、私の主観によるオススメ度くらいを記載している。
また、上に書いた性質上、小説、随筆、技術マニュアル的なものはちと取り上げづらい。 (時々は書いてみる)

そんなわけで今日は、苫米地英人の『「あたまのゴミ」を捨てれば、一瞬で脳が目覚める!』
とまべち本はいままで何冊か読んでるが、この本はその中でもかなり読みやすく、心にささるものだった。 頭がモヤモヤして悩みの深い人にオススメ度は★★★。

※細かいことだが、原書のです・ます調は、この要約図書室では、である調に統一する。

苫米地英人コレクション3 「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

苫米地英人コレクション3 「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

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はじめに 頭のゴミ掃除を始めよう

あなたの頭の中がイライラ、モヤモヤしているのはなぜ?
大事なことや複雑なことを考えている途中で頭がゴチャゴチャしてきて、考えるのをやめたくなるのはなぜ?
仕事や勉強に集中したいのに、集中できない。なぜ?
あなたの集中力、思考力、生きる充実感を低下させているのは「頭のゴミ」だ
頭のゴミを捨てれば、仕事や勉強や趣味に思いっきり集中できる

Step.1 イライラ、怒り、嫉妬・・・生産性を下げる「感情のゴミを捨てる

人間は感情から強い支配を受けている。感情の支配を受けている状態を「感情にひたる」と言うが、そのことほど無駄なことはない。
なぜなら感情とは、環境の変化によって生じる生体反応にすぎない。感情に振り回されている人は抽象度が低い。
抽象度が低い人は視点が低いので、「会社でイライラさせられている自分」のことしか見えていない。
抽象度(視点)を上げていくと、感情から受ける影響を抑えられるようになる。
抽象度を上げるつまり視点を上げて自分を客観視し、視界を広げていくことが重要。
では抽象度を上げて感情というゴミを捨てるにはどうすればよいか。欠かせないのは、ゴールを持つことだ。
感情に振り回されるのはゴールがないからだ。
「楽しい」「嬉しい」などの気分ではなく、目指すべきはゴールである。
「振り回されても意味のない感情に振り回されるな」ということだ。  感情のゴミを捨てるコツは、「すべての感情を娯楽にすること」「ゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうこと」である。

Step.2 満たされなさと焦燥感・・・「他人のモノサシ」というゴミを捨てる

「自分」が心から望むゴールを設定するためには、現在の「自分」とは何か?ということだが、「これが私です!」と断言できるように、「自分」を紹介してみよう。
しかしどれだけ言葉を並べても、それらは「自分にまつわる他者の情報」だ。自分という一点から、兄弟、会社、住所等々のさまざまな点に線が伸びている。私たちは自分を紹介しようとしても、それら自分以外の点について話すことしかできない。
情報の網の目に自分を定義する「他者の点」がいろいろとある。それが「自分」つまり「自我」だ。このことを釈迦は「縁起」と呼んだ。簡単に言うと、「『自分』とは情報の網の目の一部である」
しかし我々は、自分にとって重要なものだけに意識を向け、自分にとって重要な情報だけを頭の中に取り込んでいる。 同じ場所に並んで立って、同じ風景を見ていても、他人と自分とでは別のものを見ているのだ。目や耳に入ってくる無数の情報に対して、無意識のうちに優先順位をつけている。 そして、「重要だ」というその判断基準さえも、私たちは外部の他者からインプットされている。 つまり、自分自身の価値観だと思い込んでいるものが、実は他者から刷り込まれた価値観であり、自分のモノサシで生きていると思いながら、本当は他人から与えられたモノサシで生きている。それがあなたの真の姿なのだ。たとえば
- 競争原理というモノサシ - 常識というモノサシ - 他人の目 頭の中がモヤモヤするのは、あなたが「他人」を生きているからだ。これら「他人の刷り込み」でできたモノサシを捨て、「自分のモノサシ」をもたねばならない

Step.3 変わりたいけど変われない・・・「これまでの自分」というゴミを捨てる

ではどうすれば「これまでの自分」を丸ごと捨てることができるのか?
まず、時間に関する考え方を反転しよう。 我々は一般的に「時間は過去から現在、未来へと流れている」と考える。これは、「絶対神がビッグバンを引き起こして宇宙を創造し、そこから玉突きをするように次々と因果を起こして現在に至っている」という古いユダヤ・キリスト教的な考え方にもとづく時間観で、我々はその影響下にいる。しかし、この時間観も、古典的な西洋のモノサシにすぎない。
アビダルマ仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」としている。
(古典的西洋的価値観では)目の前の世界は、昨日までの自分が重要だと判断した情報だけで成り立っている。自分が変われないのは、そのコンフォート・ゾーンにとどまるように、ホメオスタシス※が働くからだ 。時間は川の上流という未来から、あなたが立っている現在へ、そしてあなたの後方の過去へと流れている。 過去が未来をつくるのではなく、「未来が過去をつくる」のだ。気をつけて見てみると、そのような事例を見つけることができる。
未来ベースの時間観に立ち、ホメオスタシスを利用すれば、これまでの自分をリセットし、自分を新しくつくりかえることができる。

(注) 恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスタシス(希: ὅμοιοστάσις、英: homeostasis)とは、生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のこと。

Step.4 自分に自信が持てない・・・「マイナスの自己イメージ」というゴミを捨てる

「過去は未来に影響しない」「自分は変わることができる」
そう確信し、「なりたい自分」になっていく上で重要なのが、言語のコントロールだ。私たちが生活している空間は、実は言語で成り立っている言語空間だからだ。
しかしそこは自己イメージを下げるネガティブな対話であふれている。
「お前は気が小さい」「我慢が足りない」などの親の言葉から、第三者やTVCMのコピーにいたるまで、人はたえず刷り込みにさらされている。他人はあなたの過去しか見ていないのだから、自分をリセットいたいあなたにとって、どんな他人の意見もゴミだ。一方で自己イメージという頭のゴミを増やしているのは、自分自身もまたそうであり、最大のドリーム・キラーは自分自身。だから、失敗体験の反芻は頭のゴミだ。ポジティブな自己対話こそが重要となる。
自分の能力に対する自己評価=「エフィカシー」(efficacy)を高めることが必要だ。ポジティブな自己対話をルールにせよ。

Step.5 「なりたい自分」になるために まずは「我慢」というゴミを捨てる

頭がモヤモヤしてスッキリしない理由、集中力が続かない理由、発想力や生産性が上がらない理由は、「やりたくないことをやっているから」だ。 やりたくないことを我慢してやっているから、やる気が続かないし、パフォーマンスも上がらない。「やりたい」(wantto)ではなく、「やらねばならない」(haveto)ことばかりして生きているから、毎日、頭の中がモヤモヤする。
ステップ4の「エフィカシー」は自分の能力に対する評価だが、セルフ・エスティーム「自己尊重」で、自分の存在そのものに対する自己評価といえる。「やらされ感」はセルフ・エスティームを傷つけ、潜在能力を大きく低下させてしまう。
「やりたくないけど、仕方がないからやる」がいつのまにか無意識レベルでスタンダードになって、自分は何がやりたくて、何がやりたくないかが分からなくなっている人が多い。
そこで必要なのは、「やりたくないことを選び出して、いちばんやりたくないことをやめてみる思考実験だ。やめても実は大丈夫なこと、我慢というゴミを捨てることで新しい可能性が見えるはずだ。

Step.6 やりたいことが分からない・・・「自分中心」というゴミを捨てる

しかし、頭のゴミを「捨てねばならない」と意識して努力しているうちは、本当に捨てることはできない。それはまだ「ねばならない」(haveto)のレベルだからだ。頭のゴミを本当に捨てることができ、やりたいことをやる「なりたい自分」になれるのは、have toがwant toに変わったときだ。
捨てるべきものを捨てた後、自分に本当に必要な物を、自分のモノサシで選び直すため、ゴールを設定することが必要。 それは他人に本音をカミングアウトしろというわけではない。本音にフタをしないということは、自分の心の中だけでいいので、本音を解放しておくということ。自分に噓をつかないこと。世間の通念や他人の目を気にしないこと。自分の本音の願望を頭の中で膨らませ、他人のモノサシではなく自分の本音で生きること。
「やりたいことが分からない」という人がいるが、そういう人は「自分中心」というゴミを捨て「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう」と考えよ。その時、ゴールは必ず現状の外に設定しすること。 心から望むゴールがあれば、頭のゴミはほとんどなくなる。

Step.7 失敗するのが怖い・・・「恐怖」というゴミを捨てる

ゴールの実現に対する不安と恐怖。これは人々を現状に縛りつけ、人々の可能性を殺す、目に見えないドリーム・キラー。
ゴールまでの道筋は、現状の延長線上にはないのだから、見えないのが当然だ。
たとえば「食っていけなくなる」のは恐怖だが、現代日本に餓死の恐怖はない。 ほとんどの人は「辞めた後の道筋を詳細に考えてから辞めろ」とアドバイスする、しかし現状の中にいる人には、現状の外は見えない。会社にいながら考えた退社後の道筋は、しょせん会社勤めの現状の延長線上にすぎない。
恐怖でクリアな頭を乱されている人は、「オレは何があってもビビらない」と自己イメージを高め、「すべての感情を娯楽にする」「ゴール達成に意味のある感情だけを自分に許可する」というルールを自分に課して行動せよ。

Step.8 「論理へのとらわれ」というゴミを捨て「ひらめき脳」を手に入れる

つい最近までのおよそ300年もの間、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードだったため、人々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれている。論理的思考力は不要ではないが、論理(部分)にとらわれて、論理(部分)の迷路に迷い込み」自分が何を考えていたのか分からなくなってしまうことがある。あなたの思考とひらめきを曇らせる頭のゴミだ。 全体は部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かる。 この全体と部分との双方向の関係を「ゲシュタルト」といい、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」という。「ひらめき」はそこから生まれる。 ヘレン・ケラーは、彼女がものに触れるたび教師のアン・サリバンから指文字を書いて教えられているうち、あるとき突然、文字とモノがつながって、モノに名前があるという意味を理解できるようになった。つまりゲシュタルトができたということだ。 ゲシュタルト能力によって、人は「現状の外のゴール」を叶えることができるのだ。